作家阿羅こんしんさんより。チェルノブイリへの支援経験者Fw:

20110419/山河君主宰タウン誌への原稿/こんしん

     311FUKUSIMAからの「哲学」ということについて
このごろまた、哲学の貧困ということを、想いつづけている...。
どんなに土地がかわっても時が移っても、つまりひとや文化や信仰が違っても、いつの時代にあっても、このコトはだれもが一番大事なこと、置き換えまたは
偽ってはならない約束ごとあるいはもの、を「真」という。また、どの地域であれ住民であれ、そのコトものはひとびとのしあわせへのエネルギーとなるとい
うコトものを「善」という。そして、どんな国であってもどんな環境におかれていようが、つまり死刑の判決をうけて牢獄に繋がれていようと宇宙に漂うカプ
セルにいようと、おいしい、奇麗だ、ここちよいと五感を安堵とやすらぎへといざなう情報を「美」という。ひとびとにとって、真であり善であり美であるコ
ト・ものを想いつづけることが「哲学」という呼吸であり、そこからのいのちをいただいて、それぞれが呼びもとめられたコトへと従う、それぞれの召命の
「作業」がはじまる...。
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風下汚染地からの強制移住を強いられたひとびとの「アパート」は、ミンスクの郊外に空高く建てられていましたが、住民のみんなはなにかと同じ村のひとび
とと会うために、示し合わせた行事を広場に計画されていて、たがいに顔を会わして暮らすことを生き甲斐にしている、というのでした...。
あらかじめ告知してのミッションで訪問すると、かならず地区委員会、つまり村役場・市役所のまえの広場で、乙女の捧げる布にのせられたパンと塩をいただ
くことになるのですが、この布、20〜30センチ幅で2〜3米のながいもので、この地方の特産のリヨンで織られた白地の両端に刺繍のあるロシニョール
手ぬぐいと訳せるようですが、は各部落・地区毎にみな模様が違うのです。女の子はどの地区にあっても、自分の村、ミールといい、また平和という意味にも
なるんですが、この模様を紡げるようになることが誇りなんです...。
強制移住が始まってからこの村々(ミール)の伝統の刺繍を受け継ぐひとびとが離散するので、ミンスクにボランティアの組織がベラルーシ全国の「刺繍=
ミールのシンボル」を保存する施設をつくりました。経済大学の近くの小さな二階建ての「博物館」には、約400種というロシニョールが見事に保存されて
おりました...。
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強制避難地域には、自分は年だから死んでも構わんよとの覚悟で住みつづけている老人たちにたくさん会いました。計測器さえなければ、においも色もなくい
ままでとなんらかわりのない季節が巡りリンゴが実りミツバチが飛び鳥がさえずり...。そして、事故炉の立ち入り禁止の地区、ゾーンを、ニンゲンが居な
いので野生動物が自由に謳歌しているさまを、「動物園!」と呼ぶチャーミングなベラルーシのやさしいひとびと...。
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ボクたちはこれまで触れるもの見えるもの匂えるもの...、を手がかりに認識を育んで来た。神は認識するものではないといわれるかたがたがおられる、
が、そう、相手を捉えることからボクたちは「関係」をはじめることとしてきたのだった...。が、じつは1945年の二つの不条理な核爆弾の非戦闘員へ
の投下に始まりユーラシアの内陸、太平洋での数多くの核の爆発で生成された来たこの見えないという「質料」がもたらす自然界への未知の作用についてのお
もいを、20110311のFUKUSIMAに至るまで、疎かにし怠って来たのではないだろうか...。
姿もカタチも顕わさない「コト・もの」との、真であり善であり美であるという関係を、真面目に嘘偽りなく生きて行かねばならないところに、いまボク等は
暮らしはじめているのです...。
      20110419/小倉にて こんしん合掌